バスの運転手 私はバスの運転手。 黒い制服と黒い制帽を身につけて、真っ黒いバスの一番前に、今日も座ります。 そんなに大きくはないけれど、それなりに人が乗れる、いいバスです。 白い人魂が乗ります。黒い怨霊が乗ります。灰色の死体も乗ります。 たまに大事なものを落っことして降りようとする人がいます。足だったり、手だったり、時たま首だったり。お花を大事にする心だったり、大事な人に手紙を書こうとする心だったり。 お客さんお客さん、忘れもんですよ。 青いジャージと赤いジャージが乗ります。緑色した魚も乗ります。遠くを見過ぎた着物の老人も乗ります。 少しすると、最初に乗ってきた老人が降りて、青いジャージが降りて、赤いジャージがそれに続こうとしました。 青いジャージは笑って、君の停留所はもうちっと先だろうと言いました。赤いジャージはバスに残ります。 赤いジャージはちょっとの間だけ揺られて、もうたくさん、と降りました。 緑の魚だけがまだ乗っています。 黒いつんつん頭が乗ります。大層威張って乗ってきました。一人ぼっちだったのに。 緑の魚は二人がけの席の窓際に座っています。緑の魚が手招きすると、貸し切りがよかったのに、とぶちぶち文句を言いながら、つんつん頭は隣に座りました。 狭い狭いという声がします。でも結局、つんつん頭はそこから動きませんでした。 つんつん頭も降りてしまうと、魚は困ったように肩をすくめて、本を読んだり鼻歌を歌ったりちょっと眠ったりした後、バスから出て行きました。 くたびれたぬいぐるみを抱いた人と、その背中を見続ける綺麗な男が乗ります。 綺麗な男は酔ってしまったようで、窓によりかかって少しの間眠りました。 その間にぬいぐるみの人が降りました。座席にぬいぐるみが置き忘れてありました。 目を覚ました男はそれを手に取り、目と口をぎゅうと指で押してみた後、その首を掴んで降りていきました。 ピンクのうさぎが乗ります。白い猫と、茶色いくまも乗ります。ほがらな声と、携帯のボタンの音。 とても気の弱い男と、それを一生懸命励ます男が乗ります。 降りたい降りたい。降りちゃだめです。こういうやり取りが聞こえました。 目立ちたがりの紳士と、通訳の青年が乗ります。紳士はずうっとやかましく喋っていたのに、青年が突然降りてしまうとぴたりと黙りました。 おかしな猫を引き連れた、青ざめた男が乗ります。 ひどいバスだと言って、必死に吐き気と戦っていました。猫は悠然として喉をごろごろ鳴らしています。 学校の制服を着た男の子が二人乗ります。 いつの間にか夜になり、まん丸いお月さまが顔を出しました。はっと息を飲んだ男の子の目を、もう一人の男の子がそっと塞ぎます。 みんなみんな降りていきました。 どんなに長く乗っていた人も、必ず降りていきました。 降りたくないと言う人も、降りたいと言う人も。 笑った人も泣いた人も怒った人も、黙っていた人も。 みんな平等に降りていきました。 私は空っぽのバスを運転します。 外は真っ暗。とても静か。私は車内アナウンスをし続け、たまに歌を歌って、独り言を言い、あめやチョコレートをつまみます。 がたがた。バスの音が聞こえます。 誰か乗ってこないかな。 私はハンドルから手を離せません。私が降りてしまったら、人が乗れませんから。 誰か乗ってこないかな。 今なら運賃を半分にしてあげるのに。 すると、鬼が一人乗ってきました。 私は嬉しくって、スキップするようにアクセルを踏みます。バスは本当にスキップをします。 鬼が顔をしかめて言います。静かに走ってください。 私はしゅんとして静かにバスを走らせます。そんなにきつく言わなくたっていいのに。 鬼は最初黙っていましたが、私が明日の天気はどうだろうとか、最近の野菜の値段はどうですかとか、今日どこそこのなんとかっていうおじいさんが百歳になったらしいよとか言うと、さぁとか、知らないですとか、へぇとか言いました。 どれだけ走っても、鬼はバスを降りません。 私は不思議に思って聞きました。お客さん、どこで降りるんですか。 鬼は答えました。降りません。 私はええっ、とひっくり返った声を上げました。びっくりして、何でぇと尋ねます。 鬼はきっぱりと言いました。 僕をこのバスの車掌に雇ってください 私はバスの運転手。 黒い制服と黒い制帽を身につけて、真っ黒いバスの一番前に、今日も座ります。 その隣には、同じように黒い制服と黒い制帽を身につけた車掌が立っています。 そんなに大きくはないけれど、それなりに人が乗れる、いいバスです。 |