フロムブラックマンション―午前二時


僕が彼と一緒にいるのには理由がある。


「今日はチューハイがいいな」

気まぐれに彼はそう言う。甘えた、媚びた声で。
そしてそれは僕への合図で、『狂え』という無言の強制なのである。

「甘そなやつ」

取ってつけたようなぞんざいな笑みでも、僕は無条件で従ってしまう。
悲しいことに、彼に無条件で施してしまう項目は多い。
普段はビール、ワイン、日本酒、しまいにはウイスキーを所望して楽しむはずの彼の、僕への合図。



幾ばくかの食べ物に紛れさせて手に入れてきた色鮮やかな缶を見て、彼は満足げに微笑んだ。
グレープフルーツにあと、何だったか。スクリュードライバー?
大仰な名前のそれやら何やら、袋の中のチューハイは彼の好みの味のものではない。
だって彼は僕にこれを所望するとき、必ずと言っていいほど黙ってにやりと笑って自分用のアルコール度の高い酒をどこからか持ってくるからだ。
嫌な世の中になったものだ、家に閉じこもっていても好きなものが買えてしまう。
そう、彼は僕に僕用の酒を買ってこさせるのだ。

「飲んで」

そう促されてプルタブに手をかけるのだけれど、思うに僕はいつも彼のその言葉に酔わされているのだ。
だって、どう頭の中でリフレインさせてもそれは『酔え』にしか聞こえてこない。
「今日は何曜日?」だの「何日だっけ」だのと、壁にかかったカレンダーを見もせず聞くくせに、僕が学校もバイトもない日は何故か把握している。
それに関して気色悪いと思うのが恐らく普通なのだろうが、この人ならまあ有り得ると思ってしまう自分がちょっと怖い。
そしてそういう日の前日、決まって彼は僕に飲ませるのだ。
僕がほんの少しのアルコールであっさり陥落してしまうことを熟知しながら。


「もうぐらぐらだね」
そう指摘され、僕はのろのろと顔を上げた。暑い。一缶だって開けていないというのに。
大体僕は一度にたくさん飲み物を飲めない。酒だろうがなんだろうが、飲み物だということに変わりはない。
上がりきらない僕の顎を捕らえ、砂の城を崩すように僕に浸食し、好き勝手に口内を犯していく。
「ん……っ」
中の構造をなぞるように動く舌に、僕は籠った声を上げてしまう。もうやだもうやだ、と頭の中で繰り返しながら。
中途半端に柔らかい唇の感触、交換される唾液、酒の力も大いに手伝って、もう僕はあちこち使い物にならなくなる。

正直、彼が好きなのかどうかよくわからない。
それでも僕が彼の傍にいるという僕にとって何の得もない行為を続けているのは、彼とのセックスに溺れているからだ。
存分に笑って……いや、笑えないか。
高校二年生の健全な男子が成人した素性も知れない男とのセックスに夢中になっているなんて、全くもって笑えない事実である。好きな女の子と人目を忍んでキスをしたこともないというのに。
「もう俺二桁ヤッた」と言う同じ年の男よりも、よほど不健全で愚か者だと思ってしまうのだから僕も大概である。いや、実際そうなのだけれど。
だって信じられないほど上手いのだ。一体どこで覚えてきたのか。テクニックがどうのということは正直僕には全然わからないが、そもそもの話、僕と彼の体は合っているのだと思う。
元々一つだったものが二つに分けられてしまったかのように肌と肌が何の抵抗もなく吸いつくようで、くっついていることが自然なのだ。
これは墓場まで持っていくつもりの認めたくなかった事実で、僕の人生最大の汚点である。


二缶目の途中で完全に頭がぐずぐずになった僕のTシャツを、彼の手が捲り上げる。ウイスキーの鼻にくる濃いアルコールの匂いで一層おかしくなりそうだ。
乳首がぎりぎり見える辺りまで無理やり捲り、そのまましゃぶりついてきた。全部脱がせばいいのに、面倒だからといつもそのまま。
「口が開きっぱなしだ」
「う……だって」
「本当、酒弱いよね」
胸ばかり弄繰り回され、じれったさに腰が疼く。真っ赤になったそこが空気に触れてひりひりする。普段なら絶対にしないけれど、全てを酒のせいにして僕は彼の黒いシャツを引っ張るのだ。
「もういい、もういいから」
彼は苦笑して、でもどこか楽しそうに言う。
「君は酒が入ると本当に素直」
しかしすぐに「いや」と首を傾げて、「寝る時はいつもそうか」と返答に困るコメントをした。

「誰にも言えないね、こんなに淫乱だなんて」

僕のジーパンと下着を剥ぎ取って床に放り、僕をソファーへと沈める。寝室に行くという考えは僕たち二人にはない。酒盛りの時は。
誰に対してもこうだと思わないでほしい。そう言いかけて、やめた。とても無駄な言い訳だと思ったから。
ジェル状の潤滑剤が入口に塗りたくられ、グレープフルーツの控えめな匂いがした。さっき飲んだチューハイと同じ匂いで、僕は危うく冷静を取り戻して死にそうになった。
ゆっくりと押し入ってきた中指の感触で、物欲しそうな声が出てしまう。犬のように荒い呼吸を恥じなくなったのはいつからだろうか。
どうして彼の指使いは痛みを伴わないのだろう。決して大事に扱っているわけでもないのに。
あっさりその場所を探し当てられ、僕はソファーの背に這いつくばった。執拗にそこばかり押され、引っ掻かれ、テンションはすごい速さで上がっていく。上と下の唾液がだらしなく流れていく。ああソファーが台無しだ。そして元通りにするのは僕だ。
一度出してしまいたいのに、彼の都合でその指は引き抜かれた。おかげで切なげに息づく姿を数秒間観察される羽目になる。
僕をソファーの背にしがみつかせ、腰を両手で掴んで緩慢な動作で挿入してきた。
「あっ」
その瞬間に僕の首筋は大きくのけ反る。浅ましく腰が突き出てしまい、早く奥へと急かすようだった。
お望み通りとでも言うように、二回、三回と突くたびにどんどん奥へ侵入してくる。たまに手を休めて、彼はグラスに手を伸ばしてウイスキーを煽る。僕たちは二人とも程よく酔い、度を越した狂気さで互いを貪っている。
体の中身がどろどろと音を立てて溶けていく。そして白い液体となって外へ流れ出すのだ。
後ろから律動を繰り返すだけだったのに、右手がそこへ伸びてきて少々乱暴な手つきで上下に扱く。ぐちゅぐちゅという粘着質な酷い音がした。
背後から聞こえてくる彼の息遣いにどうしようもない安心感を覚え、僕ははしたない声を上げ続けた。

「だ、めだ。もう、いく」
「うん、俺も。中に出していい?」
いつも聞かずに勝手に出すくせに、こんな時に限って確認するなんてずるい。
と言いたいのは山々だったが、この口はそんな長文を喋れるほど上手く動かないだろう。僕は浅い息と共に何度も頷いた。
彼が中の物を絞り出すようにきつめに握りしめると、僕のそれはあっさりと果てた。彼はくたりとした僕の背中を十分眺めた後、僕の中で精を弾けさせた。その感覚すら、気が狂うほど気持ちがいい。

息絶え絶えな僕から自身を引き抜くと、僕をソファーに寝かせた。それで終わりかと思いきや、吐き出したばかりで萎えているそこに唐突にかぶりつかれた。
「ひっ……ちょっと待っ」
とても性急な舌遣いに僕は焦り、怯えた。しかし正直なもので、きちんと快楽を拾って再びそれは反り返る。ついでに背中も反る。強すぎる快感を持て余し、僕はしきりに身じろぎしてそれをやり過ごしていた。
「やだ、吸うな、ばか」
僕がそう文句をつければ、意地悪く笑って一度だけ強く吸い上げる。僕の悲鳴を聞いたあと、あっさり口を離して僕の膝を胸まで折り、間髪入れずに突っ込んだ。
ぐらぐらと揺さぶられ、その動きはさっきよりもっとずっと雑。打ちつけるという表現がとても良く合う。その代わり、とてもぴったりとくっついている。僕は堪らなくそれが嬉しい。

電気もつけず、微妙に空いたカーテンの隙間から差し込む電灯の明かりだけを頼りに、僕たちは一晩中交わっていた。
やめられない。離れられない。
この不健全で完全な関係から。

僕は彼のセックスが好きだ。
彼の舌が好きだ。
彼のキスが好きだ。
彼の体が好きだ。


彼が好きだ。




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