不毛な砂漠にて


「失礼しまーす」
ノックもせずに研究室のドアを開けると、椅子に背を預けてパソコンに向かっている曽良がいた。
曽良は俺の方を見もしない。
にやりと笑うと、曽良の首に腕を巻き付け肩に少しだけ体重をかける。
「俺この眼鏡好き」
パソコンを使うときと授業の時だけ登場する、チタンフレームの無機質な眼鏡。彼の切れ長の冷たい瞳がさらに鋭さを増すので気に入っている。
フレームに軽く触れると、曽良は無感動な声で
「触らないでください」
と言った。
「だったら少しは抵抗してよ」
肩に顎を乗せても、曽良は微動だにせずにキーボードを打っている。
「面倒くさいんで」
「そう」
にべもなく言われて少しむっとしてしまった俺は、無防備な彼の首筋にキスをした。
さすがに反応した曽良の肌がぴくりと動く。面白くてもう一度キスをした。
すると曽良は、絡みついた俺の腕に無言で強く爪を立てた。
「痛っ」
予想外の鋭さに驚いて、反射的に腕が浮き上がる。
「触るなというのがわからないんですか」
「構ってほしかったの。……痛いなぁもう、爪切りなよ。あ、俺切ろうか」
「出て行ってください」
さっきより若干不機嫌な色になった声に、俺はちょっと嬉しくなる。
「研究室はゼミ生みんなの物でしょ」
「しょっちゅうサボっている人間が何を言うんですか」
「曽良は真面目だよね」
「あんたが不真面目なだけです」
曽良が薄いため息をつく。俺は独り言を言う。
「曽良って俺のこと嫌いだよね」
「よくご存じで」
「昔からそうなんだ。たいていの人には好かれるのに、一部の人にはすごく嫌われちゃう」
曽良は再び押し黙る。でも神経は逆立っている。俺は淡々と喋りながらその様子を愉快そうに見てしまう。
「曽良、こっち向いて」
俺は意識的に何度も『曽良』と名前を呼ぶ。曽良の頭をかき抱くと、その皮膚の下が騒いでいることが分かった。ざわざわと動揺の音がする。
「でもね、嫌ってた人に限って、後になってからだんだん俺にはまっちゃうんだ」
「自意識過剰だ」
突き放すような素早い返事は狼狽の証拠だ。
彼からは顔が見えないのをいいことに、俺は酷く悪い顔をする。
「もう遅いよ」
少し呆れたような物言いをすると、曽良が歯を食いしばっているような気がした。多分。
「だって、本当に嫌いな人とは会話すらしないでしょ、曽良」
今度こそ怒った曽良が眉を吊り上げて首だけこちらを向いた。
「もう遅いんだって」
「何が」
怒りを含んだ質問をキスで彼の喉まで押し返す。すかさず飛んでくる彼の平手をすんでのところで食い止めた。
俺は喉で低く笑う。
「お前がこんなに乱暴者だって知ったら、ファンの女の子はどう思うかね」
社交的な俺と違って味も素っ気もない態度のくせに、顔とスタイルと声がいいせいで無愛想がクールに変換されて持てはやされているのだ、この男は。
お笑いだ。
「あんたに『お前』と言われる筋合いはありません」
「ごめんね」
あっさり謝ると、曽良はますます機嫌を損ねる。
でも今なら、曽良はあらゆることを許容するだろう。抱きしめようがキスをしようが、殴ろうが蹴ろうが犯そうが。
もちろん盛大に抵抗するだろうし呪いの言葉を吐くだろうけれど、それでも俺を止められるほどのものではない。
「もう戻れないよ。俺も、お前も」
そう言って俺はもう一度キスをする。何度でもする。
そして内心では訂正している。戻れないのは、本当はお前だけだよ、と。
曽良は全てを恥じているかのように無抵抗だった。キーボードの上に粗雑に置かれた彼の右手を盗み見る。
俺は彼の清潔な口内が好きだった。冷たい唾液を味わいながら、女を愛でるように髪に手を差し込みながらひたすら唇を貪る。
「眼鏡が邪魔だ」
そう言って、ごく自然な所作で曽良の眼鏡を取り去る。
訂正する。彼の眼光は裸眼の時のそれの方が余程強かった。凄惨ですらあった。
俺は恐ろしくなったふりをして、ゆっくりとその両目を手のひらで覆った。

西日の差しこむ煙草臭い研究室で、俺と曽良はくだらないキスを延々と繰り返していた。



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