愚者


時に思う。
彼に、真っ直ぐに一途に、全身で愛を注いでくれる可愛らしい娘が、現れないかと。

この身体には、元より欲というものが備わっていない。
色欲、食欲、睡眠欲、物欲などなど欲の種類は数限りない。しかしそのどれもが極端に薄く、或いは容易に捩伏せることのできるものなのである。
無論、私に限ってだが。

何故かなどは明白である。
私が閻魔であるが故。
この身体に欲は不要。
仕事の妨げ以外に働かないからである。
人の最後の一人が死に絶えるまで、人の生まれる望みが絶たれるその日まで。
人の罪を見、裁き、その憎しみを背負うという営みは、何によっても阻まれてはならぬものなのである。

まして人を愛するという心に、何の意味があろうか。

これは私の意思ではない。
私を作った物の、冥界の意思なのだ。
だから、

「大王」
『世界で一番貴方を愛している』

その声が、香りが、微笑が、時にどうしようもなくつらい。
私は返してやれない。
いつか彼が自らの想いと同じものを私に望む日が来るのが、少しかなしい。

しかし恐ろしくはない。
その時が来ればその時で、静かに私は詫びるだろう。
そして彼も。
全てが終わったあと、夜には独り泣くのだろう。
私はそれがかなしい。
私を想って独りで泣く彼の姿がかなしい。

人は他人と同等の想いを持つことは出来ない。
差が微量であろうとも、必ずどちらかが大きくどちらかが小さい。
そんなくだらないことで悩むのは、欲の深い人間の間だけの話だと思っていた。

彼は何も望まなかった。
ただ傍にいられればよいのだと。
話が出来ればいいのだと。
そしてたまに、茶を一緒に飲めればいいのだと。
何と可愛らしい要求だろうか。
抱擁も口付けも何も要らぬと言う、ともすれば本気かどうかを疑うような彼の言い分に、私は内心動揺した。

私は聞けなかった。
何故私を選んだ、と。
こんな愚かな男のどこがよいのか、と。

かろうじて聞けたことといえば、いつからなのかということくらいだった。彼は首を傾げて、わからないと答えた。
彼がずっと私に好意を寄せていた中、私はそれに気付かず彼に接していた。
どうしてか、そのことが恐ろしく感じられた。
私は彼の好意に気付かなかったばかりか、苦手だと思われているだろうと認識していたというのに。
上司だから仕方がないと、出来るならあまり関わりたくないと、そう思っているものだとばかり。

すぐにでも、選び抜いた気立てのいい娘を与えてやりたかった。彼を好いている娘など、ここにはいくらでもいる。
彼は、そういう者達にきちんと愛されるべきなのだ。

しかし、同時に寂しさが襲う。
手放したら手放したで、胸にぽかりと穴が開くのだろうと容易に想像ができた。
この胸を開いて内を彼に見せてやりたい。君の好きな男はどうしようもない自分勝手だぞ、と。
こんな傲慢が自分に備わっているとは今の今まで気付かなかった。閻魔としては欠陥品だ。

「君の幸せなら、誰よりも願ってる自信あるんだけどな」


main
inserted by FC2 system