冬鎖


冬は怖い。

空気は乾き、木々は禿げ上がり、色彩達は息を潜める。
人々は身を縮めて、皆早足。
無情な向かい風が歩む意志を拒み、非情な追い風が竦む足を面白半分に急かしている。

そんな中、無風の、しかし雲はある夜にぽっかりと浮かぶ青白い月。
この季節の俺は、狼男の姿になっていても人間である時の意識を持っていることが多い。凍てつく酸素が脳を不必要に冴えさせるのだと思う。
寒い寒い夜に独りで、皮膚は毛皮に変わり、禍々しい牙が生え揃い、全身が軋んで、目の前に落ちている陰が見る見る形を変えていく。
鏡はなくともわかってしまう。なんと醜い姿なんだろうか。そんなことに気づくのは冬だけだった。

このままここにいて月を眺め続けていると、月が沈んでも元の人間の姿には戻れないのではないか、そんな風にさえ思えてきてしまう。
冬の月は俺を独りにする。あらゆる物から俺を遠ざけ、取り残し、足並み揃えてどこかに行ってしまう。靴音の幻聴が頭の奥で時々鳴る。
寒空に姿を現す満月は、俺を冬に置き去りにする。
お前に暖かな春はやらない。寒さに震えて、凍えぬよう腕を抱えているがいい。
そんな嘲笑いを捏造する俺は、それはそれは不幸なんだろう。
捏造であればいいけれど。




「寒いのは嫌いだ」
身を縮めてマフラーに鼻を埋める俺を見ると、ケンジが可笑しそうに笑った。
「そんだけ重装備してまだ言うのかよ」
マフラー、手袋、コートの完全防備の俺に対し、ケンジは生地の薄そうなマフラーを軽く首元に引っ掛けているだけである。信じられない奴だ。俺のポケットにはさらにカイロが入っているというのに。
「早く春になんないかな」
この言葉にどれほどの切望が含まれているか、ケンジは知らない。知られたくもない。彼は俺が弱いことを知っているが、底なしに弱いということまでは恐らく気づいていない。
「俺花粉症だからなぁ……春の方が勘弁願いたいんだけど」
お前も俺から春を取り上げるのか。くだらない被害妄想が開始され、いよいよ俺はどうしようもなくなる。
会話も出来なくなり俯いていると、不意に鼻をつままれて上に持ち上げられた。知らず、口から変な声が出る。
「鼻赤い」
楽しそうに笑いながら依然俺の鼻先をつまみ上げている。俺は眉を寄せてその手首を掴んでやめさせた。そして手の中の温度の高さに驚愕する。
「お前、体温高い」
「カイロにするか?」
ますます面白がっているケンジが俺の冷え切った顔を鷲掴んだ。思ったより手がでかかった。
「顔は防寒のしようがないからなぁ」
「馬鹿、やめろ、苦しい」
ふがふがと彼の手の中でもがきながら、彼の手によって視界を塞がれている感覚が嫌ではない自分に驚いていた。何より触れている部分が暖かい。温度が移る。
ようやくケンジが手を離し、そのままその手を俺の頭に持っていって、二、三度無造作に髪をかき回した。

「よかったな、ここが日本で。春は自動的に来るぜ」

どこか大人ぶった笑顔でそう言ったのだ。
見開かれた俺の目に、彼の姿がきちんと映りこんだかわからない。喉が閉鎖されたみたいに、物も言えなくなる。
でもその時確かにわかったのは、彼が春へ手を引いてくれることを約束してくれるなら、俺はきっと冬を生きられるということだ。
彼の湿った白い息と、熱い手と、マフラーの少し暗い緑色が、俺に冬の居場所を与える。
暇な俺の脳はそんな小難しいことを考えているが、実際のところさっきから頭の最前線にいる言葉は至極単純なものだった。


一体どうして、お前の言葉は毎度毎度俺を一瞬で救い上げるのだろうか



俺の鎖を淡々と解くその高温の指を、低温の俺の指が知らずに握っていた。





webアンソロ企画ケン藤冬の陣に載せていただいたもの

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