王様の憂鬱


どうしよう、と考えあぐねて小一時間。
彼は仕事。俺も仕事。
休憩時間までもうあと半刻だが、どうにも集中ができない。
ぼうっと頬杖をついて虚空を眺めていると、止まったはんこの音に彼が気付いて顔を上げた。

「手が止まってますよ」
不機嫌そうに眉を寄せながら、力の抜けた俺の右手を睨んで咎める。
「うん」
気の抜けた声で返事をすると、彼は眉を吊り上げた。
「うんじゃないでしょう。さっきからなんべん止めれば気が済むんですか。休憩まであと少しなんですからちゃっちゃと進めてくださいよ」
「うん」
バン、と机を強く叩いて、彼は勢いよく立ち上がった。完全にご機嫌斜めだ。人事のように俺は思う。
「そんな顔したって駄目ですよ、おやつは休憩まで出しませんから」
「そんな顔ってどんな顔」
「物欲しそうな顔!」

張り上げられた声が耳にキンと響く。そんなに怒らなくたっていいのに。
物欲しそう。俺はそんな顔をしていたのか。
彼にわかるほどなのだから、相当緩んでいるのだろう。参ったな。
彼が立ち上がったので、俺も席を立った。そのまま彼の方へ歩み寄ると、状況が飲み込めずきょとんとしている彼の顔が目に映る。
「何ですか。まさか実力行使」
「あのさ」
こう前に立つとよくわかる。大して目線が下がらないことから、俺と彼はさほど身長差がない。3、4センチくらいだろうか。
今のこの背丈が気に入っているから変えていないが、やろうと思えばこの差を10センチ15センチに出来るわけだ。

そしたらこの子は何て言うだろう。

「抱きしめても、いいかな」
「は」
開きっぱなしな口から飛び出した間の抜けた声。
我に返るとすぐにしどろもどろになり、「え」だの「あの」だのと口の中でもごもご言いながら目を泳がせている。
「嫌なら嫌って言っていいんだよ」
すこうし意地の悪い言い方をすると、目をそらしたまま彼は答えた。
「嫌とかそういうんじゃなくて、……仕事中だから駄目です」
それを聞くと、俺はほっとしたように微笑んだ。
「そっか」
満足げに言って踵を返そうとしたら、肩を掴まれて強く引っ張られた。そのまま頭ごと抱き込まれ、鼻の頭が彼の鎖骨に押し付けられる。
力を入れすぎたと思ったのか、慌てて彼は腕の力を緩めた。
「すみません、痛かったですか」
「……いや」
目をしばたたかせていると、彼の指が俺の髪の間に滑り込んでいたことに気付いた。
「どうしたの」
「いや、あなたがどうしたんですか」
もっともな質問で返され、俺は少し唸って考えるような振りをしてから答えた。
「突然触りたくなったんだけど、駄目だろうなってぼんやり考えてた」
「突然って……何なんですかアンタという人は」
深い溜め息をつきながらも、俺を抱く腕はほどかない。
「仕事中は駄目なんじゃなかったの」
「それは、だって、このままじゃまた止まると思って」
「いつもみたく爪で刺して怒鳴ればいいじゃない」
「……さっきから何なんだよもう!」

苛立ってきたらしく、再度声を張り上げた。怒ってるけど、困ってる。
少し笑って鼻をすんと鳴らすと、鼻孔が彼の体の匂いで満たされる。彼の指先の感触が頭皮をくすぐっている。
俺は目を閉じた。
ああ、ひどく気分がいい。

「好きだよ」
「え?」

思い通りにならなくて

思った以上のものを与えてくれる君が


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