発信


無人の喫煙所で、思わず舌打ちをする。
あんなくだらないミスでおじゃんになるとは。第一、下の奴らの仕事が杜撰なせいで招いた結果だ。余計に腹が立つし、怒りのやり場が見つからない。
責任者ってのはおいしくもなんともない。
俺は煙を吐き出しながら自嘲の笑みを浮かべた。
ふと思い出した。
ここ最近、彼と連絡を取っていない。メールは何通か来ていたが、忙しすぎて全く返信をしていなかった。
スーツのポケットから携帯を出し、一番最近来たメールを呼び出す。開封済みであるにも関わらず、初めて読んだような気がした。
『最近全然連絡ないですけど、大丈夫ですか?あんまり根詰めない方がいいですよ』
目を細めてそれを読み終え、俺は煙草の火を消した。
そして気がつけばアドレス帳の彼の項目を表示させていた。
画面の隅の時計を見る。六時。
もしかしたらまだ授業かもしれない。サークルかもしれない。バイトかもしれない。
仮に出られても、そう長くは喋っていられない状況かもしれない。
俺はため息をついた。
留守番電話サービスの音声は聞きたくなかった。
しかし俺の親指は発信を選択していた。

  ああ馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ

俺は頭の中で何度も呟きながら疲れた顔でコール音を聞いていた。
数秒後に聞こえてくる、無機質な女性のアナウンス。俺はすぐに通話を終了し、携帯をポケットに戻した。
再び音が消える喫煙所。重くなった肩を軽く回し、しばらくそこでぼうっと天井を見ていた。蛍光灯がまぶしい。

ポケットが盛大に震えた。
俺はどきりとして慌てて携帯を取る。画面に表示された名前を見て一瞬動揺し、慌てて通話ボタンを押した。
『もしもし』
「ごめん」
咄嗟に謝ってしまった。電話の向こうの彼が眉をひそめるのが分かる。
『何でですか』
「いや、電話してよかったのかなって」
『大丈夫ですよ。さっきはちょっと気づかなくて』
電話越しの彼の声はくぐもっている。けれど、俺の好きな音だ。
『どうしたんですか』
「何が」
『今仕事中でしょ?忙しいんじゃないんですか』
俺は口ごもってしまった。自分の女々しさに呆れる。なんて小さい大人なんだろうか。
「いや、最近喋ってないな、って」
言ってから、俺は自分にうんざりした。
忙しさにかまけて放っておいたくせに、自分が弱っているときは相手の都合も考えずに付き合わせている。
そう思っていても、浮かぶ言葉を押しこめることが出来なかった。
「声が聞きたかっただけ」
彼は一瞬言葉を失った。そして明らかに動揺した声を上げる。
『大丈夫ですか』
「大丈夫だよ」
しばらく互いに黙った後、彼は極めて聞き取りにくい声で言った。
『うちに、来ますか』
今日。彼はそう付け加えた。
「いいの?」
『どうぞ』
「夕飯はどうしたらいい?」
『作っときます』
俺は微笑した。目を閉じて俯く。
「泊まっていいの?」
彼は数秒間押し黙ってから肯定した。
「ありがとう」
ガラス越しに部下の姿が見えた。会釈して入ってきたので俺もそれに応えて入れ違いに出て行く。
廊下を歩きながら俺は自分の口の端が緩んでいることに気が付いていた。
「じゃあまた後でね」
携帯を畳むと、もう憂鬱ではなくなっていた。
今日の夕飯のメニューを想像しながら、俺は上機嫌で自分のデスクに戻っていく。





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