Je te veux




無理矢理こじ開けるような乱暴な音と共に鍵が開いた。
深夜だった。午前二時。課題に使う本を読み終えて十二時過ぎに眠った僕は、その時はもう眠りの底にいた。
少し重たいドアが開き、数秒後にバタンというぎょっとする音を立てて夜の静寂に波紋を作った。直後に何かが崩れ落ちる音がした。
僕は慌てて布団をめくって飛び起き、玄関までどたどたと走った。
誰だかはわかっている。合鍵を持っているのは彼だけだ。
サスペンスの殺害現場のようだった。ドアに背を預け首をがっくりと垂れているスーツ姿の男がそこにいた。
僕は大きく、大きくため息をついた。泥酔していることが一目でわかった。頭から被ったのかと思うほどの強い酒の匂い。
肩で浅く息をしている彼の前にしゃがみ、肩に手を置いて軽く揺する。
「何なんですかアンタは」
「酔った」
カラオケで歌い潰してきたかのような掠れ切った声だった。
「んなもん見りゃわかります。何でウチに来たんですか」
そういえば、こんなに泥酔した彼を見るのは初めてだった。この男は腹が立つほど酒に強い。
「会いたかった」
熱い声だった。高温で湿っていて、僕にまで熱が伝わりそうだった。実際、伝わった。僕の頬はかっと熱くなる。
「何言ってんですか。そんなに酔って、自分の家でちゃんと寝るべきだ」
こんな時でもつんけんとして優等生じみた事を口走る自分が疎ましい。それでも明らかに動揺の色が出ている僕の声に、普段の彼ならすぐに気付いて苦笑する。
「声が聞きたかったんだ」
言葉を発する度にアルコールの香りが漂う。おかげで僕は酔わされてしまった。
「君の所に帰りたかった」
だからここに来た、と彼は言った。僕は嬉しくて嬉しくて寂しくて、泣きそうになりながら吐き捨てた。こんな時に。
「アンタは一人が寂しいだけだ」
あっと思ったら、もう僕は廊下に転がされていた。スーツの擦れる音がして、男一人分の体重を上半身に受ける。
「好きだよ」
下がった前髪で目は見えず、そのまま唇を塞がれた。ちゅ、という愛しげな音が冷え冷えとした廊下のフローリングに落ちる。
何か言い返したかったが、出来なかった。声を出せずにいると、額、こめかみ、瞼、頬、鼻の頭、顎、と顔中にキスをされた。両手はいつの間にか捕えられ、どちらも吸いつくように指が絡められていた。
僕はひたすら驚いていた。本当に酔うと、この人はこんな風になってしまうのか、と。
彼が僕のTシャツをべろりとめくった時、ようやく僕は我に返って叫んだ。
「嫌だ、ベッドがいい」
彼は僕の申し出を全く気に留めなかった。僕の胸に手を這わせる。熱でもあるかのようにその掌は灼熱だ。
乳首を捕まえると、指で挟んで弄ぶ。僕は油断して高く呻いたが、激しく首を横に振って身じろいだ。
「こんな所じゃ嫌だ、頼むからベッドに」
「黙って」
彼の低い声に全てをかき消された。乳首を口に含まれ、僕は息を吸い込み、一瞬にして何もかもがどうでもよくなった。
彼の唇はいつもより柔らかかった。そしていつもより水分の多いそれで文字通り僕を貪った。舐められ、唇に挟まれ、吸われ、たまに甘く噛まれた。僕の呼吸はどんどん浅く速くなり、湿っていく。
欲望を剥き出しにして僕に襲いかかる彼が愛しかった。酔いに任せて乱暴に、身勝手に僕を犯しているように見えて、彼は僕に縋っていた。『お願いだから愛して』と言われているようだった。
僕は彼の背をかき抱いた。スーツ越しに僅かにわかる肩甲骨と背骨を触り、早く素肌に触りたいと切に願う。
あちこち中途半端に脱がされて随分みっともない格好にされてしまったが、不快感はなかった。むしろ彼の性急さが伺い知れて、胸の熱さは増すばかりである。
唾液をたっぷり口に含ませ、彼は僕をぱっくりと咥えた。シャワーを浴びた後だったので、僕の体は清潔だ。
大袈裟な水音に口では拒絶を示したが、その卑猥な音に僕は明らかに興奮していた。品の欠片もない、獣のような音。
筋を舌で辿られ、弱いところを舌で擦られ、吸われ、そうして濡れそぼった僕から一度離れ、ずるずるになったそれを彼は右手で激しく扱いた。
「あっ」
本当に『あっ』という間だった。僕は一瞬何もかもわからなくなり、直後に激しい快感が押し寄せ、果ててしまった。
彼はそれを見てもいつものように「早ぁい」と僕をからかったりしなかった。出された物を掬い取り、ひくついている僕の後ろの穴になすりつけた。そして少々強引に中指をねじ込んでいく。しかし不思議と痛みはなかった。
廊下の暗闇で微かに見える、獲物を一心不乱に喰らっているかのような彼の頭の動き。僕はそんな彼の姿を眺めてさらに興奮するほどの余裕が自分にあることに驚いた。
その時、不意に彼が顔を上げた。
暗闇でもわかった。赤い頬、重そうな瞼から半分だけのぞく瞳、だらしない半開きの唇。
彼は目を閉じた。そしてだるそうな掠れ声で、

「好きだよ」

僕はその時、短い間だったけれど快感を忘れた。
僕の全てを支配していたと思っていた、あの快楽を。

「君の全部が欲しい」

僕は返事をする代わりに、縋るように彼の頭を強く抱きしめた。
ふと、普段の飄々とした彼の表情を思い出す。
腕の中の人物とまるで結びつかず、僕はちょっとだけ笑いながら眩暈の中へ落ちていった。





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