迷子のニャンコさん


「阿部君久しぶり」

紙袋を提げて現れた少し顔色の悪い男に、閻魔は表情を明るくした。
「頼まれていたものだ」
低く地に響くような声で、阿部と呼ばれた男は紙袋を閻魔に差し出す。
「トップスのチョコレートケーキと、ゴディバの新作」
「うっひょう阿部君ありがとう。持つべきものは下界の友達だね」

配下の死神が仕事の帰りによって食べてきたというそれらを、閻魔はずっと欲しがっていた。
仕事中の買い食い、しかも下界の物など規則違反極まりないので閻魔はその死神を適当に罰したのだが、罰してしまった手前、誰かにお使いに行かせるわけにもいかない。
なら下界の者に持ってこさせればいい、と屁理屈をこねて友人の陰陽師、阿部に頼んでおいたのであった。

「どうよ、仕事の方は順調?ちゃんと依頼来てる?」
「まあぼちぼちだな」
ゴディバの金色のパッケージを丁寧に開きながら閻魔は滅多に来られない友人に話しかけている。
「相変わらず幽霊怖いの?」
「幽霊と言うなおばけと言え」
「ああうん、おばけおばけ」
「連呼するな」
「ごめん。で?」
「めっちゃ怖い」
閻魔はあっはっはと声を上げて笑うと、手元から洋酒混じりのカカオとココアの香りがふわりと浮き上がる。
濃い茶色のトリュフを一つ手にとって半分だけかじり、中身の構造を眺め、残りを口に放り込んだ。
「おいしい」
満足そうに頷くと、箱を阿部に差し出す。阿部は一瞬躊躇したが、大人しくそれに手を伸ばす。差し出されたのだから、変に遠慮をする必要はない。

「で、今日はどうしたの」
まさか菓子を届けるためだけに来たわけではないだろう。そう言外に含んで閻魔は尋ねた。
「友人を紹介しに来た」
「友人?」
ニャンコさん、と後ろを振り返り扉に向かってそう呼んだ。しかし返事はない。
「そっちにいるの?」
「そのはずなんだが」
不思議に思って扉を開けるが、そこには彼の友人の姿はなかった。阿部は首を傾げる。
「放浪癖のある人だからな。遊びに行ってしまったのかもしれん」
「ええーここ広いから下手に動くと迷うよ」
確かに、と阿部は頷いて考え込んでしまった。見かねた閻魔は机の上の電話の受話器を取った。何故かそれは昔懐かしの黒電話だった。
「まあ冥界の者じゃないんだから探すのはそう難しくはないと思うよ。今手空いてる部下に頼んでみる」
ダイヤルをじーころじー、と回しながら「番号なんだっけな」と呟いている閻魔に阿部は表情変化の乏しい顔で少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
「すまないな」
「いーえー。俺も君の友達見たいし」




そのころ、閻魔庁から少し離れたところにある書庫から文献と草稿を取りに行っていた鬼男は、頼まれたものを抱えて閻魔の執務室へ向かっていた。
草むらの横に作られた歩道を何を思うこともなく歩いていると、

「おいそこの鬼」

背後から突然何者かから声をかけられた。どきりと心臓を鳴らして慌てて後ろを振り返ると、そこには何故か黒くて長いネクタイを締めた白い猫が二本足で立っていた。
目が合った瞬間、それは片手を上げて「にゃんぱらりー」と間延びした声で言った。鬼男はさらに驚いた。
「何だこれっ……!」
「これとは何だ失礼な奴め。我輩はニャンコさんだ覚えておけ」
「え、ええー何この猫何でこんな偉そうなの」
突然現れたよくわからない生き物に叱られ、鬼男はその態度に憤慨する前に一歩後ろへ下がってしまった。
「まぁいいか。お前、ここの土地勘はあるか?」
「と、土地勘って……はぁ、まぁ大体は」
「よし、なら連れて行け」
「どこへ?」
「阿部という男のところだ」
「阿部?」
どこかでその名前を耳にした気がする。鬼男は首を傾げた。誰の口からそれを聞いたのだったか。

閻魔だ。
「大王の知り合いですか」
「そうらしい。我輩をそいつに紹介するとか言って連れて来られた」
大王をそいつ呼ばわりするこの猫のような生き物に鬼男は苦笑した。きっとこの人は、大王を前にしても何の恐れも気負いも感じないのだろうと思った。
「しかし、どうしてこんな所に」
「物珍しくて探検してたら、はぐれた」
「……あの、それ単に迷子になっただけじゃ」
「疲れた、肩車をしろ」
ぴしゃりと言葉を遮られ、鬼男は半笑いを浮かべながら苦々しく口を閉じた。どうしてくれようこの変な生き物を。
しかし、いろいろとおかしな点はあるものの、猫の形をしているため、鬼男はどうにも強く出れずにいた。

「わかりましたよ。とりあえず大王の所まで案内しますので……って、うわわわ!」
言葉の途中でニャンコと名乗ったそれが鬼男の腰にしがみつき、背中をよじ登りだした。
身長(?)からしてそこそこ重量があるように見えたのに、予想に大きく反してその体は嘘のように軽かった。ここに来れるということは、まあ普通であるはずがない。鬼男はそう片付けた。
しかしそれでも面食らったのもあって鬼男は後方に倒れそうになったが、「ふらふらするな危ない」と怒られ、不本意ながらも足を踏ん張った。
「よぅし進め」
そう言って彼は手元にあった鬼男の二本の角を軽く掴んだ。何かの操縦席と勘違いしているらしい。しかしその行動に鬼男は背筋を粟立たせた。
「や、やめてください掴んじゃ駄目です」
「何で」
「何でも!」
鬼男がわめくと猫は意外にあっさりと手を離した。とりあえず前に進んで欲しいらしい。鬼男は安堵のため息をつくと、ぷらぷらとぶらさがっている猫の足を軽く掴んで歩き出した。
肩の上で、猫はしきりに体をねじって辺りを見渡している。物珍しいのだろう。形状は幾分違うものの猫は猫なので(多分)、その姿が鬼男の目には微笑ましく見えた。

すっかり日が暮れている。辺りは見事な茜色に染まり、カラスが遠くを飛んでいる。すぐ傍には少しあせた緑をした草の群れがさわさわと揺れていた。
冥界に四季はないが、どこか秋めいたひそやかで落ち着いた空気が佇んでいる。
緩く弧を描いている柔らかい土の道の上を一歩一歩ゆっくり進んでいると、猫が頭上でほう、とため息をついた。

「冥界とは、もっと殺風景で陰気なところだと思っていた」
「下の人たちのイメージだと、そうなるでしょうね」
鬼男が苦笑すると、猫は目を細めて満足そうに言った。その笑顔は、例えるなら地上の招き猫のようだった。
「なかなかの景色だ」
「それはどうも」
鬼男も、どこか誇らしげに微笑んだ。
その『なかなかの景色』を作り上げた人物のことを思い浮かべて。




「あ、鬼男君おっかえりー」
閻魔は戻ってきた部下を手を振って出迎えた。しかし直後にその肩に乗っている物体を目に留めて不審そうに眉を寄せる。
「え、何それ」
「ニャンコさん」
阿部が顔を上げてそう口にすると閻魔は露骨に驚いた。
「え、あれがそれなの?」
「人をあれだのそれだの言うな」
閻魔は不機嫌そうに鬼男の髪をかき回している猫に向かって「いや、人じゃないだろとりあえず」と無言のつっこみを投げた。
「でもよかった、今捜索願い出したとこだったんだよ」
閻魔の言葉に猫はむっとする。
「だから、我輩は迷ってなどいないぞ」
「ニャンコさん、勝手に外へ出ては駄目だ。ピーがうじゃうじゃいるに違いない。危険極まりないぞ」
「自分で放送規制音出さんでいい。それに冥界自体は安全だったぞ。幽霊なんてどこにも」
「幽霊言うな」
長身で強面の割には言っていることが弱腰なこの奇妙な男に鬼男はしばらく気を取られていたが、すぐに閻魔の机から発する甘い匂いに気づいて眉を吊り上げた。
「お前またそんなもんくすねやがって……!」
「ち、違うもーん、これ阿部君がくれたんだもーん」
「もんもん言うな気色悪ぃ!」
「あ、阿部くーん!それとニャンコさんとやら!おやつにしよ、おやつ!ほら鬼男君、お茶入れてきて」
いきなり言い合いを始めていた二人(一人と一匹)だったが、その言葉にすぐさま反応してこちらに戻ってきた。
チョコレートケーキを囲んでいるおっさん二人と変な生き物一匹の輪を複雑な目で眺めながら、鬼男は仕方なしに給湯室へ向かった。


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