真夜中の奇術師


草木も眠る丑三つ時。
私は彼の家の庭に忍び込んだ。音を立てないようにこっそりと。
そこから寝室がすぐに見える。真っ暗かと思ったのに、ろうそくらしきぼんやりとした灯りが一つだけ見えた。
私は困ったように笑って、やっぱりこっそりとそこへ向かうのだった。

唐突に戸を開けてやると、彼の縮こまった背中が大袈裟にびくりと震えた。しかししばらくの間そのままで、振り返りもしない。私は呆れてため息をついた。
「私が強盗だったらどうするんだ」
何拍かおいて、彼が背を向けたままもごもごと返事をする。
「どうするって、何がですか」
「夜中に戸が開いたら警戒しろってこと」
どこか上の空の彼の隣に膝をつくと、彼は手に持っていた何かをさっと握りしめて引っ込めた。すかさず私はその手首を掴む。

「これは何?」
「何だっていいでしょう」

うんざりしたようにそう言ったので、不機嫌な唇に少々乱暴に口づけた。器用に舌を滑り込ませれば、彼の指先が震えて力が緩み、手の中の「何か」がころころと床を転がった。
それを手に取ると、彼は私を突き飛ばして逃れ、「何か」を掴んだ私の手に手を伸ばした。
「返してください」
「どうして?」
「どうしてもです」
酷く焦った様子で私に掴みかかり、そのまま床に倒される。しかし、全身で私を押さえつけているので、「何か」を取ろうとすれば私に形勢逆転されるのは目に見えている。私の方が身長があるため、それは一瞬だろう。彼はどうしたらいいかわからず、私を押し倒したまま固まってしまった。
「諦めなって」
静かにそう言うと、彼は悔しそうに唇を噛んで手の拘束を解いた。しかし倒れた私の腹の上に乗ったまま動かなかった。
私はようやく握りしめていた手を解くと、その「何か」が白い丸薬だということがわかった。私はそれをまじまじと眺める。
「もう一度聞くよ。これは何?」
彼は答えない。青ざめた白い顔が暗闇でぼんやりと浮かんでいた。
しばらく好きなだけ沈黙させておいたが、彼は口を割ろうとしない。

もういい加減待つのにも飽きてしまった私は、それを一瞬のうちに口の中に放り込んだ。

彼の喉が空気を吸いこんでひゅっと鳴る。ごくりと喉を鳴らしてみせると、彼は血相を変えて私の肩を掴んで上体を起こさせようとした。しかし私がそうさせない。彼の指が私の肩に食い込む。

「太子、駄目です。吐き出して」

半狂乱で彼は何度もそう繰り返した。しまいには私の名前ばかりを呼ぶようになった。肩をがくがくと揺さぶりながら。

「太子、太子、駄目です、出して。お願いですから言う事を聞いてください」

私は彼を見ずに軽く咳き込んでみた。すると彼は一層取り乱す。
「太子、駄目だ。あああ……!」
途中から涙声に変わり、私の胸に額を擦りつけた。
「ああ、あああ太子、お願い、やめて」
彼は吠えるように私の胸の上で泣いた。私は少しの間その様を眺めていた。彼の涙の熱さが胸に沁み込んでいく。
「あああああぁぁ……」
一緒に吐き出される息も、ひどく湿っていてとても熱い。その全てが私の胸の中に沈んでいく。

可哀想になって、私は彼の色素の薄い柔らかな髪の中に指を差しこんだ。彼が涙でぐしゃぐしゃになった顔を、スローモーションのような速度で上げた。

「そんなに泣くってことは、とても良くないものなんだね、これ」

握りしめた拳を彼の鼻先で開いて、中を見せた。そこには先ほどの白い丸薬が乗っている。彼が目を丸くすると、たまっていた涙がいくつも頬を伝った。

「よく見てて」

そう囁くと、私は差し出した手をもう一度ぎゅっと握りしめる。一拍置いて、一本一本指を開いていくと、掌にはもう何もなかった。彼はわけがわからずぽかんとしている。私はふっとおどけて笑って見せた。

「実は私、手品も出来る摂政なんだ」

ようやく私は体を起こし、呆然としている彼を抱きしめてやった。彼は一晩中泣き続けた。一度だけ小さく「ごめんなさい」と言った。
私はとても優しい男だったので、彼の罪の全てを許した。

沈黙する罪。
ごまかす罪。
いけない薬をくすねる罪。

みんなみんな私が手の中に押し込んでぎゅっと握れば、消してしまえるんだよ。


だから朝になったら、すごいって言って笑って、私を褒めてね。



main

inserted by FC2 system