暇を持て余した王様の遊び



大王の瞼が落ち始めた。筆も止まりがちになり、僕はそれを見て背筋を伸ばす。新しい空気も吸いこむ。容易に予想できる事態に備えて。

「鬼男君」

そら来た。僕は目線だけを彼の方へ向けた。
「暇だね」
「いいえ全く」
ぴしゃりとそう言って黙らせたつもりだったのに、大王はあまり僕の言葉を聞いていなかった。
至極ぼんやりとした表情で虚空を見上げ、筆をくるくると回している。墨が飛ぶからやめろといつも言っているのに。
「つまんないからちょっと遊ぼう」
「喧嘩売ってんですか」
「ちょっとだけ。そうすればきっとまたやる気が出るから」

今しがた『暇だ』と主張したのをもう忘れてそんなことを言い出した。しばらく無言で彼を睨んでみたが、前言撤回して真面目に仕事をする様子は全くない。
そのちょっとのお遊びで本当にやる気が出るなら、と僕は観念してため息をついた。
いや、もしその後もサボるようなら、「さっき遊んだでしょう」ととことんまで有効利用させてもらおう。そして馬車馬のように働かせるのだ。
素晴らしい手を思いついて満足した僕は、しかしきちんと呆れた様子を装って返事をした。

「仕方ないですね」
大王が「やったー」と間抜けな声を上げて万歳をした。これが天下の閻魔大王か。僕は半笑いを堪えられなかった。
「で、何をすればいいんですか」
「先に笑った方が負けってゲーム」

幼稚園児かお前は。
もう少し高等な遊びが来ると思っていたので、僕はがっくりと肩を落とした。
「要するに睨めっこですか」
「ううん。別に喋ってもいいし、手を使ってもいいよ」
漫才でもやれっていうのか。何だか面倒なことになってきたので、僕は一気に口調がぞんざいになる。
「あーじゃあもう手っ取り早くくすぐっていいですか」
「いやーん鬼男君のエッチ。セクハラ大魔神」
「ブッ殺しますよ」
「ごめんなさい。……でも悪いけど、俺くすぐり効かないから」
ふふん、と余裕たっぷりに鼻で笑うと、「はいじゃあスタート」とのんびりとした声で言って両の手をパンと打ち鳴らした。

喋ってもいいというのに、いきなり僕たちは無言で見つめあった。制約が緩いと、逆にどうしていいか分からなくなる。
くすぐりが効かない、変顔のやり方も知らない、漫才はもっと出来ない。明らかに僕の分が悪かった。
対して大王は漫才はともかく変顔のスキルなら僕より数段上のはずだ。さぞかし愉快な顔を提供してくれることだろう。
別に僕は勝っても負けてもよくて、要は彼の気分転換が出来ればいいのだ。あっさり勝ちを譲ってしまってもちっとも悔しくない。くすぐられるのは何だか腹が立つのでどうにかして回避するつもりだが。
戦闘においては先手必勝でガンガン攻めていく方なのだが、こういった類のこととなると仕掛けるのが苦手なので早くアクションを起こしてほしいのに、大王は依然として椅子に座ったまま僕を見上げている。
皆さんも幼い頃の事を思い出してほしい。指相撲をした時、相手が親指をピンと張ったまま微動だにせず、崩しようがなくて困ってしまったことはないだろうか。今まさにそれと同じ状況なのである。

「あの、大王。楽しいですか?」
「わりと」

無表情で即答されてしまい、僕は返す言葉を失った。
普通真顔で見つめられると訳もなく笑ってしまうものだが、この人に限っては話が違ってくる。顔の造りの美しさを再確認させられるだけだ。
どうしたものかと棒立ちになっていると、急に鼻にむず痒さを覚えた。軽く指で擦っても収まらず、僕は咄嗟に口を押さえて横を向いた。


「っくちゅん」


珍妙な沈黙が、その場をしばらくの間支配する。
僕はようやく状況を飲みこんで羞恥に顔を赤くし、慌てて大王の方を見た。

大王は俯いたまま小さく吹き出し、そのまま小刻みに震えながら机の上に崩れた。





「鬼男君、機嫌直してよ」

両手にケーキとプリンを捧げ持ちながら、さっきから僕の周りを行ったり来たりしている。僕は足と腕を組んで椅子に座ったまま、仏頂面でそれを無視し続けていた。
「ねぇ、君がむくれてる間に仕事も終わらせたよ」
大王が右側から顔を覗き込んできたので、僕はすかさず左を向く。
「ねーぇ、勝ったんだからいいじゃん。そんなに拗ねなくたって」
「拗ねてない」
「あ、やっと喋ってくれた」
大王は楽しそうに笑いながら僕の前に来て座り込んだ。
「驚いたなぁ、君があんな可愛いくしゃみを隠し持っていたとは」
「特技みたいに言わないでください」
「いやいや立派な特技だよ。あれやられたら俺何でも言うこと聞いちゃうよ」
へらへらとだらしのない笑い声を上げながら、手に持ったプリンをスプーンですくってそれを僕の唇に押し付けてきた。僕はますます眉間に深く皺を刻んで、意地でも開けてやるものかと唇に力を込める。


勝ってこんなに悔しいゲームは初めてだ。


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