昼の谷 かつてこの手で作ったこの場所を、私は昼の谷と呼んでいる。 この地の空はいつでも高く、突き抜けるような眩しい青がどこまでも広がっている。 雲が気まぐれに散乱し、その頂点を陣取っている太陽から白い光線が降り注ぐ。 空気は太陽に暖められてじわりと温度を持ち、吸い込むとエネルギーが体中を巡るようだった。 そして狂ったように咲き乱れる色とりどりの花々。デルフィニウム、ポピー、ガーベラ、マリーゴールド、ヒヤシンス、サフィニアにパンジー。スノウドロップ、シクラメン、百合に桔梗。 めちゃくちゃだ。季節も何もあったものじゃない。 少しばかり好き勝手にやりすぎたし、少しばかり放っておき過ぎたようだ。他にも野草や、名も知らぬ花が数え切れないほど群生している。 風が吹いて、花や草がさわさわと鳴く。人の話し声のようだけど、もっと控えめ。内緒話よりも密やか。 おかげで渦中に寝転んでいるというのに、どうにも蚊帳の外にされている気がしてならない。 私はいつでも取り残される。 どこででも、どこまで行っても、私はひとり。 一体何のためにここを作ったのだろう。 「大王」 張り上げられた声が、遠くで聞こえる。腹から出された、呼吸の通った真っ直ぐな声。 私はそれを死ぬ間際の人間のようにぼんやりと聞いていた。 「大王」 もう一度呼ばれた。どんどん近付いてくる。私は泣き出しそうになる。 どうしてこうも正確に私を辿れるのか、いまだにその謎は解き明かされていない。 あの目に封じ込められた私の血は、そんなに強く力を発しているのだろうか。 いいや、あるいは。 「見つけた!」 嬉しそうな声がして、私はその方向へ視線をやった。咲き乱れるリンドウの中に、太陽を背にした彼の姿があった。 おかげで見上げると目が潰れそうに眩しい。逆光で大半が影になっている中、体の輪郭だけが太陽に縁どられている。 彼はリンドウの中に転がる私を見下ろすと、目を丸くして、次の瞬間高らかに笑いだした。 「大王、頭に、リンドウが」 ひっきりなしに生まれる笑いが言葉を邪魔している。何の事だか分らず呆然としていると、笑いながら私の隣に膝をついて、乱れた私の髪を撫でた。 「リンドウが髪飾りになってます」 私の頭に潰されて茎の折れてしまったリンドウの花が、ちょうどよく私の頭に乗っかっているのだそうだ。 「でも似合いますよ、青紫色。今度から仕事でもつけたらどうですか」 心底可笑しそうに、必死に笑いをこらえてそのリンドウに触れている。何がそこまで可笑しいのかさっぱりわからず、笑いにおいても置いていかれている私は、寝起きのようなぼやけた声を出すしかなかった。 「どうしたの」 私の問いに、彼はあからさまに呆れて見せた。 「今夜、焼肉奢ってくれるって言ってたじゃないですか」 「君は食べ物で釣ると本当に無邪気になるね」 「しかも肉ですし」 彼の顔に自然と笑みが滲む。さすがは鬼だ、と私も曖昧な笑みを浮かべた。 「そうか、もう夜なんだ」 私が呟くと、彼は「そうですよ」と当然のように言った。 「こんなところで寝てるから、わかんなくなっちゃうんですよ」 私の背に手を差し入れ、よいしょと言って苦もなく上体を起こさせた。着物についた草をさっと払い、ばらばらになっている髪を手櫛で整えてくれた。 「あ」 くっきりとした声を上げると、私の手元に横たわっている先ほどのリンドウを手折り、私の耳のすぐ上の辺りにそれをすっと差した。 「せっかくだからつけていきましょう」 いたずらっこのような目をして笑い、力の上手く戻らない私の手を取って立たせた。 私はふと彼の顔を見た。 限りなく優しい、昼のような笑顔。 私を探しにくる笑顔。 ああ私はさみしいのだと思っていたけれど かなしかったのだな 「ありがとう」 ようやく笑うことができた私は、彼に手を引かれて昼の谷を出ていく。 私をひとりにする昼の谷から。 リンドウ 花言葉:悲しんでいる貴方を愛する こちらのイラストより書き起こさせていただきました |