子供 「お前さ、もしかして発情期?」 ケンジのその言葉に、俺は青ざめた。 いつバレた、何でバレた、という酷く淡々とした自分の声が頭の中で反響する。そのくせ背中を走る汗はいやに冷たい。 どう言ったら一番ベストなのだろう。必死に考えた末、怪しまれないように、努めて自然さを装う。 「え、急に何それ」 いつかに彼から言われたセリフを不意に思い出し、そのまま使ってみた。 しかし俺の努力も空しく、ケンジは表情のない顔のまま断言する。 「そうなんだろ」 俺も負けじと譲らず首を振る。 「いや、ないってそんなの。今は人間なんだから」 「顔が最近赤い。よく上の空になる。そわそわして落ち着かない。重っ苦しい溜め息が多い」 アンケートの調査結果でも述べるように該当項目を挙げていく。 お前は本当に俺が大好きなんだな。見過ぎだろう。 そうやってからかう余裕は、俺にはなかった。 「最近風邪気味なんだよ、そんなの普通だろ。いくら俺が狼男だからってそっちに繋げるお前、ある意味すげぇな」 言葉を慎重に選んで返事をしていく。ちら、とケンジの顔を盗み見ると、ちっとも納得していなさそうだった。それどころか、毛ほども信用していない。 「しんどいんだろ」 これは、もはや俺の言い訳など何の意味も持たないことを意味している。 決めつけも思い込みも何も、彼の言っていることは全く真実なのだから。 「だから、違うっての」 自分が気色悪くて仕方がない。 抜いても抜いても追いつかないだなんて、俺が一番信じたくない。 定期的にこういう時期は来る。人間としては、繁殖にはまだ青い体であるのに。 いつもはどうにかして自分で慰めて切り抜けていたが、今年はちょっと異常だ。無意識に規則正しい呼吸が出来ない。気を抜くと悩ましげに乱れそうになる自分の息遣いが心底憎らしい。 どうやって息をしていたのか、リズムが思い出せない。そういうことがあるのだ、実際に。 「俺達親友じゃねぇの?」 馬鹿野郎と言って彼を殴らなかった俺を、誰か褒めてくれ。 親友だから言えないんじゃないか、馬鹿野郎。 大体親友の定義って何だ。どんなことでも言い合えるのが親友か? 俺たちは互いにその言葉を多用する割に、定義を問われてもまともな答えを出せないだろう。そう、お互いに。 だんだんどうでもよくなってきて、俺は大きくため息をついた。それを見て理解をしたケンジも、張り詰めていた気を解いた。 「お前なぁ」 「いいよもう、ほっといてくんない?軽蔑して当然だって、わかってるからさ」 「じゃあやっぱりそうなんだ」 俺はもう否定しなかった。しかし肯定の頷きもしなかった。 俺が黙っていると、ケンジはベッドの上の俺の隣に座ってきた。俺は露骨に顔をしかめてしまう。 「何だよ」 「抜いてやろうか」 「はあ?」 仰天した俺は、くっついてきたケンジの肩を思いきり押し返した。特別抵抗はしてこなかったが、かといって引く気配もない。意図がよく分からず、俺は思わず吠えた。 「何考えてんだよ、余計なお世話だそんなの」 「お前が一人で苦しんでるから助けてやろうって言ってんじゃねーか」 「単にお前がやりたいだけだろ」 「まあそれもあるけど」 「否定してくれよ」 さっきから怒鳴りっぱなしで疲れた。しかし息が乱れているのはそのせいだけじゃないのが悲しい。 電気をつけ忘れた夕方の部屋。家は無人。好きな男とベッドの上。条件は最悪だ。 ケンジは顔を近づけ、無表情のまま俺に告げた。 「それは冗談としても、自分でするより楽になれるんじゃないかって言いたいわけよ。こんなの俺しか気づかないだろうし、俺にしか言えないだろ。だから」 いつもよりぎこちない無表情は、どんな顔をしたらいいか分からず少し困っているときの、ケンジのクセだ。 こいつなりに俺を助けようとしているのはよくわかった。不器用な優しさは、素直に嬉しいと思える。 でもこれは、譲れない。 俺が首を振ると、ケンジの片方の眉がつり上がった。 「今更だろ。何が嫌なわけ」 言ったところで納得してもらえるかどうかわからない。けれど何も言わなければ怒りだすに違いない。 俺は久々に自身の体質を呪った。そして絞り出すようにして喉から言葉を追い出した。 「みっともないとこ、見られたくない」 ケンジは黙っている。俺もすぐには次の言葉を出せず、少しの間沈黙を味わわされた後、ようやく口を開いた。 「自分でも、気持ち悪い。まさに淫乱って感じで。もう、ほんと、酷いんだ」 駄目だ、まともに喋れていない。いよいよ泣きそうだ。これ以上みっともなくなってどうするのだろう。シーツを強く握りしめ、何も見たくなくて深く俯いた。 「そんなの、お前に見られたくないよ」 消え入りそうな声で終えると、俺は唇を噛みしめた。ケンジの顔色は分からないが、ずっと黙っている。わずかに見える手は微動だにしていない。 納得してくれたのだろうか。してくれなければ困るのだが。 どうか自分と置き換えて考えて欲しい。そうすれば俺と同じことを言うだろう。 いつまで経っても反論が返ってこないので、俺は安堵のため息を深くついて立ち上がろうとした。 すると突然肩を強く掴まれ、ベッドに体を沈められた。スプリングが悲鳴を上げる。俺は悲鳴さえ上げられなかった。 「ちょっと強引に行かねぇとダメっぽいな」 「え?」 「え、じゃねーよ。そんな風に拒否られたら俺はどうすりゃいいんだ。ふざけんなよお前」 「いや、お前こそふざけんなよ」 何故ケンジがこんなにも怒っているのかがわからず、俺は責められて及び腰になる。低く冷たいケンジの声は、腹に響くようで心底恐ろしい。 「お前俺のこと好きなんじゃねぇのかよ。だったら変に隠し立てすんな、一応こっちだって人並みに不安になるんだから」 「嘘言うなよ。神経鉄パイプのお前が不安とか、笑わせんな」 「殴るぞ。みっともなかろうと俺は気にしねぇからガタガタ言うなっつってんの」 「俺が気にするの!ああそうだよ俺はお前が好きだよ。だから見られたくねぇんじゃねーか、いい加減理解しろよ分からず屋!」 俺の発言で明らかにキレたケンジが、怒りで半笑いになりながら俺のジーパンのベルトに手をかけた。勿論俺はそれを全力で制する。 「ほんといい加減にしろ、嫌がってるやつに無理矢理とか最低だぞ」 「じゃあ頑張って抵抗しろ。どっちが勝っても恨みっこなしだ」 「転がされてる俺の方が明らかに分が悪いじゃねぇか」 俺が焦りを含みながらがなっていると、ケンジが手際よくベルトを引き抜いていた。ジーパンの下のそれは、色々な感情が混ざって興奮してしまっている。 俺は目を覆いたい気持ちになりながらも、懇願するような悲痛な声で叫んだ。 「処理にお前を使うなんて絶対嫌だ」 ケンジの動きがぴたりと止まる。俺ももう、少しも動けない。声も出したくない。 「そっちが本音か」 ケンジが静かに問うので、俺はどうにか蚊の鳴くような声を返す。 「どっちもだよ」 頑なに視線をそらしている俺の額を、ケンジの指がするりと撫でていった。その肌触りの良さに少し驚く。 「お前気ぃ遣いすぎ……じゃあもういいよ」 「何が」 「俺も発情期ってことにしよう。まぁあながち嘘でもないし。だからお前が俺に付き合って。これでいいだろ」 「え」とか「は」とか言う前に、唇を塞がれてしまった。歯が当たり、がちっという口全体に響く強い振動に全身が驚く。 齧りつかれるように唇を食まれ、腫れていくみたいにじわりと熱を持つ。 乱暴で無遠慮な行為なのに、そこに快感が伴うはずもないのに、どうしてか俺はとても安心していた。耐えず落ち着かず、眩暈のするような興奮の元にいるけれど、彼の手に唇に匂いに歓喜している自分が確かにいる。 俺の剥き出しの額に触れ、首筋を吸い、シャツを捲りあげ、もどかしそうに胸に歯を立てている。 ケンジとするのは初めてではない。だから彼が普段はもっと丁寧にというか、もう少し気を遣って俺に触れることも知っている。 なのに今、ちっとも不安にならない。さっきまでの怯えきった、情けない俺はどこへ行った? なあ、何でだと思う? 俺は彼の「知るかよ」という返事を期待して尋ねたかったが、生憎言葉が出なかった。 「う……」 彼の舌が乳首をなぞり、俺の首筋が反る。縋るものが欲しくて、彼の色素の薄い髪の中に指を差し入れると、ケンジは顔を上げた。 「悪い、もう入れていい?あんまり我慢出来そうにねぇわ」 あけすけな彼の物言いも気にならず、俺はがくがくと首を縦に振った。ジーパンと下着を下ろされたところで、ケンジが「あ」と声を上げる。 「ローションか何かない?」 「……探せばあると思う」 ケンジは露骨に顔をしかめると、短くため息をついて、既に主張している俺自身を軽く握ってさらりと言った。 「いいやもう、これで」 濡れそぼった先端を指先でくるくると回すようにして潰されると、俺は強く目を閉じた。 「ちょっ……ケンジ。やだ、それ」 初めてではないといっても、実は直接そこに触れられたことはなかった。他人に触られるという感覚は今まで感じたことのないもので、急に不安が押し寄せるのに、腰は指を求めて浮くばかり。 「ケンジ、よせって。頭変になりそ」 「藤田足閉じんな、やりにくい」 「ひっ。やだやだ、離っ」 俺の反抗は彼の口内へと消えた。腰骨がぞわぞわと軋んでいる。駄目だ、今すぐにでも果ててしまいそう。 早過ぎる。量だってきっと多い。死ぬほど恥ずかしい。ここまで来て何を今更と言われてもいい、今すぐ逃げ出したい。 誰か助けてくれ。 「ケン、ジ……む、り。助けっ……て」 「すぐ楽にしてやるからちょっと待ってろ」 「楽にしてやるって、死ぬみた、いっ……」 押し寄せる快楽から必死に逃げようとしている俺を見て、ケンジは舌打ちした。そして俺から顔を遠ざけ、あろうことかそれを口に含んだ。体内でたくさんの生き物がぞわりと一斉に移動したような感覚に陥る。 「だ、めっやめろ。出る、からっ……ケンジ!」 まるで聞く耳を持たず、ケンジは適当に吸ったり噛んだり舐めたりを繰り返している。当たり前だが彼も男のそれを銜えたことなどないだろう。勝手がわからず、きっとあまり上手くないのだろうが、今の俺を狂乱させるには十分だった。 俺の体がびくんと跳ねた瞬間、ケンジが口から外した。が、もう遅い。口にこそ流れなかったが、ケンジの顔面にもろにべったりとかかってしまった。俺は蒼白になる。 「お、前、何やって」 「悪ぃ、ちょっと遅かった。ぎりぎりで離して手の中に出そうと思ったんだけど……まあいいや」 どこがいいんだという罵声は荒い息に消える。ケンジは自身の顔や首にかかったそれを丁寧にすくい取ると、不意に上目遣いで、にやりと笑って俺を見た。 「絶景?」 俺は精一杯怒りの表情を作って見せた。 「死んじゃえお前なんか」 「怒るなよ」 何がおかしいのかクスクス笑いながら、ケンジは精液だらけの指を俺の後ろにゆるゆるとねじ込んだ。 「ひ……!」 「お、すげぇ、何か入れやすい。さすが発情期」 「……い、ってぇよバカ。もうやだ、抜け」 ケンジが指の侵入を止めて俺を見つめた。 「ほんとに痛い?」 俺は渋い顔で露骨に顔をそらす。返す言葉が全く見つからなかったからだ。するとケンジが憎らしい満面の笑みで言った。 「『ほんとに』痛かったらちゃんと言って」 もう誰かこいつを黙らせてくれ。誰にあてたわけでもない懇願も空しく、好き勝手に引っ掻き回されて喉が掠れ始めた。脳がもう痺れ切っている。 それでも拒めず、それどころか求めてしまうのは、彼の手が嘘みたいに優しいからだ。健全な男子高校生であるわりにちっとも独りよがりでない彼の愛撫が嬉しい。 もう意地も何もかも捨てて求めてしまいたい。みっともなくても恥ずかしくてもいい。とりあえず、ひとまず今日だけは。 発情しているのではなくお前に欲情しているのだと、伝える術があればいいのに。 指を引き抜かれ、少し性急な動きで侵入される。いっぱいいっぱいなのは何も俺だけではなく、ケンジももどかしそうに腰の動きを速めた。 「ふじ、た」 同じく息の荒い彼が、弱々しく俺を呼ぶ。 「もう、苦しくないか?」 俺は泣き出しそうになって、彼の首に腕を回して思いきり抱き寄せた。自分で自分の泣きそうな顔を見たことはないが、きっととても無様だろう。 泣くのを我慢したら下半身に注意が払えなくなり、俺はひきつった小さな声を上げて果てた。その時締め上げてしまったらしく、ケンジもほぼ同時に吐き出した。 快楽の余韻がなかなか引かず、俺たちはしばらくの間抱き合ったままぴくりとも動けなかった。 ようやく目を開けると、ケンジが額に唇を落としてきた。それを大人しく受け入れると、戸惑いがちに口を開く。 「ケンジ」 今日はたくさん彼の名を呼んだことに今頃気づいた。ケンジが少し眠たげな目で応える。途端に言いづらくなり、俺は唇を噛んでしまった。 「何だよ」 ケンジに問われても、答えられない。数回に渡って二の句を催促されたが、俺はどうしても言う気になれなかった。ケンジがつり上がった眉で責める。 「藤田、お前いい加減に」 「わかった、言う、言うから」 髪の毛でも引っ張りかねない勢いで頭を掴まれ、慌てて返事をした。そして自分にすらよく聞こえないような声で呟く。 「もう一回だけしたい、かも」 ケンジは目を丸くし、無意識のうちに開いた口から、 「………………いいよ」 という言葉が零れ落ちていった。 発情期だから、仕方ない。 |