さみしいよる


「ねえ、鬼男君」

少し呆れたような、嘆くような彼の低い声が、僕の耳に流れ込んだ。
僕は唇を噛み締めたまま答えない。力をこめすぎて口の端から血が伝っていた。大王はそれを舌先で丁寧に舐め取る。ぞくりと背骨が疼いた。
「聞こえてるよね」
念を押すように言われ、僕はかろうじて一度だけ首を縦に振った。ため息の漏れる音が頭上から聞こえてきた。
「頼むからもう少し力抜いて。これじゃ入っていけやしないよ」
僕の頭の傍に両肘をつき、そっと顔を近づけてくる。額と額がつきそうだ。僕はまたしても答えない。
喉が詰まって声が出ないのだ。

「縛ってもいないし、術もかけてないし、君の嫌いな札も使ってないよ」
僕の腕は自由だった。なのに、どんなに快楽を与えられても、大王の首に手を回したり、背中に爪を立てたりしなかった。そして強張りすぎてびくともしない僕の体。
大王は怒ってはいないが、とにかく困っていた。
「わかんないな」
諦めの入った声を出しながら、彼はゆっくりと上体を起こして僕から顔を離していく。

「俺の何がそんなに怖いの」

僕は彼の目を見なかった。溢れた涙で視界が滲んでほとんど物が見えない。くらくらする。
つま先を少しずらすと、布団を覆う白い布が眉をひそめるようにしわを寄せた。
たっぷりと沈黙した後、僕は蚊の鳴くような声で言葉を発した。

「力が、抜けないんです」

大王が一瞬だけ悲しそうな顔をした。切れ長の瞳をさらに細めて彼は言う。
「難儀な体だね」
僕は一気に泣き出しそうになるのを懸命に堪えた。言ってしまったことを激しく後悔した。覆せない事実が歯がゆくて情けなくて恨めしかった。

早く中へ入ってほしいんです
繋がりたいんです
熱が欲しいんです
果ててしまいたいんです

聞こえますか


声にならない声が霧散していく。消えてしまいたい。

「ここにね」
大王の手が僕の腰に触れる。触れられたところの皮膚が粟立った。
「軽く術をかければ、力を抜くことは出来るよ」
独り言のように聞こえるほど、その声は遠慮がちだった。僕は少し考えた後、緩く首を横に振る。
「そう」
大王は儀式めいた所作で僕の額に軽く唇をつけた。その感触が、一瞬だったのにもかかわらずあまりにも丁寧で、僕は目をきつく閉じた。
溜まっていた涙が次々と頬を伝う。

好きです好きです
あなたが
怖くなんてありません好きです
好きです好きです

頭を占めるのはそればかり。頭の悪さが露呈しそうで怖くて、それらが口を付いて出そうになるのを僕は必死に押し留めた。
程度の低い生き物だと、死んでも思われたくない。

色んなことに気づいてしまった。

でもそれが何なのかはわからない。

唯一明白なことは、この人のために僕が出来ることはない、ということ。


main
inserted by FC2 system