「ヒャハハハハハ!!」
狂った笑い声を上げながら斬鬼が突進を開始する。
声がしたと思ったらもうそこにはいない。残像すら見えない。閻魔が瞬きを一度する前に、斬鬼は一気に距離をつめて閻魔の目の前まで来ていた。
「右脇ガラ空き!」
姿勢を低くして右脇へ飛び込み、左肩にかけて袈裟斬りを食らわせ、再びその場から消えて間合いを取った。
黒衣と共に皮膚をざくりと切ると鮮血が吹き出し、閻魔の体がゆらりと揺れた。痛々しい爪痕を刻まれたのにもかかわらず、閻魔は大した感情を見せなかった。
斬鬼は爪に付着した閻魔の血を舐め取りごくりと喉を鳴らす。
「さすが閻魔大王様、血の味も半端無く格別だ」
「どうも」
褒められて嬉しいかのように微笑むと、閻魔もまた自らの血を指で掬い舌に運んだ。
「一滴残らず搾り取ってやるよ」
喉を低く鳴らして笑い、斬鬼は再び姿をくらました。風が走る気配だけが肌を刺し、閻魔が振り返る間もなく空中から背中を両の手の爪で深々と刺した。
またしても抵抗は無い。斬鬼は舌打ちをすると爪を伸縮させて閻魔の背から抜き、間髪入れずに膝蹴りを繰り出す。
しかし、つま先が閻魔の首に食い込む寸前のところで足の甲が閻魔の手で受け止められた。
予想もしなかった結果に斬鬼は一瞬怯む。閻魔がそのまま受け止めた手を勢いよく払うと、斬鬼の体はものの見事に結界の端まで吹っ飛んだ。
「かは……っ!」
背中を結界の壁にしたたか打ちつけ、その場に崩れる。
「軽いな」
閻魔がゆっくりと斬鬼の方へと歩みを進めている。先ほどまであった痛々しいほどの刺し傷は全て消えていた。
「つまらんな。そんな簡単に吹き飛ばないでくれよ」
氷のような深紅の瞳がすっと細められた。斬鬼はぎりり、と忌々しげに奥歯を噛む。
「ほざけ!」
言うや否や目の前の獲物に向かって加速する。大きく跳躍して拳を振り上げると、その周囲を火炎が取り囲む。鮮やかな赤をまとった斬鬼はそのまま真下の閻魔に向かって突進していった。
「灼熱地獄で悶えな」
拳を思い切り打ち込むと、斬鬼の背から無数の巨大な邪気が飛び出し、それらとともに炎が閻魔の体を飲み込んだ。赤黒くなった炎は勢いを増し、閻魔を捕らえて逃さない。
「ヒャハハハハハ!閻魔大王が地獄の業火に焼かれるたぁ皮肉なもんだな!」
腹の底から高らかに笑い、斬鬼はとどめとばかりに両手の爪を伸ばす。
息の根を止めようと火の中に飛び込もうとした瞬間、火炎地獄は嵐に通られたかのように霧散した。
斬鬼は目を見開いて息を飲む。

「なかなかの熱さだった」

ぱんぱんと手を払いながら火の粉の中から現れた閻魔は、衣服に焦げ目一つ作っていなかった。
「さすが何千何百という生き物を喰らってきただけはある。結構な力だが」
悠々と腕を組み、淡々と閻魔は述べている。しかし斬鬼に向けられた目は侮蔑を含んだ刺すような視線を放っていた。
「動きは単調、荒削り。所詮は寄せ集めの小物妖怪を突っ込んだだけの」

「ただの糞餓鬼か」

斬鬼の怒号と共に体内から邪気と暗雲が炸裂し、同時に先ほどの火炎、いやさらに強大化した炎が火山のように噴火した。剥き出しの鋭い牙、最初よりも伸び、捻じ曲がった角、血走った目は完全に我を忘れている。
怒れる斬鬼は魂に本能のみを宿し閻魔へ突進した。
対する閻魔は焦りなど毛ほども感じず、おもむろに懐から一枚の符を取り出した。
「審判だ」
恐ろしいまでの速さで突っ込んできた斬鬼の頭を符ごと鷲掴んで受け止める。
「貴様の罪を暴いてやろう」
口元で小さく呪文を唱えると、掴んでいる右手に念をこめた。瞬間、地の揺れるような轟音がして斬鬼の頭から濁流のような気が一気に吹き出した。
「がっ……あああああぁぁぁぁぁ!」
どす黒い気の中に無数の生き物の悲鳴、絶叫、血飛沫が舞っている。散らばる肉片、転がる骨。それら全てがこの斬鬼の中で息を潜めていた。
しかし、その奥に一瞬だけ強く光った光を見た。瞬く間に消えてなくなったそれを、閻魔は見逃さなかった。
「なるほど」
すう、と符を持つ手を引くと、斬鬼の体がどさりとその場に崩れた。しゅうしゅうと煙がいくつも立ちのぼり、荒い息を繰り返しながら咳き込んでいる。
「魂ごと無に返してしまうつもりだったが、気が変わった」
軋む体を叱咤し、どうにか顔を上げた斬鬼を、閻魔は微笑をたたえて見下ろしている。
「まずはそこにいる薄汚い邪神共を追い出しますか」
いつもの軽口に戻った閻魔の表情は、心底楽しそうであった。



main next

inserted by FC2 system